2017 / 10
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ようやく、本当にようやく観に行くことできました。
今日の体調も朝の時点で絶不調、一瞬、今日もやめようかと躊躇しましたが、いやいやもう我慢できない、今日こそは…と自分で自分を押し切るような思いで行ってきました。
体調がこんなんだから、もしかして集中できないかもと心配したのですが、杞憂に終わりました。

映画が始まったら、その世界の虜になっていました。


以下ネタばれ注意です
もしこれからご覧になる方で、原作も読まれていない方がいらっしゃったら…私はそのままネタバレを避けて、観ることをお勧めします(*^-^*)

Twitterでは観た方の意見が分かれていました。
「原作読んでないなら、いっそ何も見ないで行くべき」「パンフレットもネタバレあるので、映画の前に開かない方がいい」という意見。
「世界観を堪能するなら原作読んでから行った方がいい。映画だけでは最後のどんでん返しの意味がわからない」という意見。

私は前の意見に賛成。
何も知らず、何が起こるんだろうと、これは何を示しているんだろうと
一つ一つの場面を
あの年頃の子供たちの世界のように漂う不安定さもろとも堪能した方がいいんじゃないかと思います。



…というわけで私は、原作を読まず、一応ネタバレも避けた状態で観ました。
その状態で観た感想は

極めて「感覚的」。


場面、場面を繋ぐストーリーや構成はもちろんあります。
でも私にはその場面、場面こそがが、象徴的で、印象的。

多くの作品は点と点をつなぐ線がわかった時にこそ醍醐味があり、そこに力点を置くように思うのですが、この作品ではその線が細く必要最低限にとどめられ、いっそ視聴者に委ねている感じ。
対照的に、点の存在感が強烈で
時に、視覚に鮮烈に訴え
時に、音が痛烈に響く
現実と想像の世界が交錯する
現在と過去も交錯する

それがまた素晴らしく。


観ながら、心がざわつく。
理屈でなく、感覚的に揺さぶられる。

涙が断続的に流れたけれど、その理由は自分でも分からない。
考えている間がなかった。
点(場面)が一つ、また一つ移りゆき、心象風景が広がる。

その心象風景は映画のものだろうか。
遥か昔(←爆)、少女だった記憶の中の自分だろうか。
それとも、今も自分の中に存在する何かだろうか。


観ている最中から、共感…共鳴?していた自分がいる。
「あぁそうだったね」「そうだね」「そうなんだよね」



ここから本格的にネタバレになりますが。。。

私は吾郎さん演ずる高雄孝夫さんの背中の画に惹かれました。
どこか不器用で「普通に」あったかい背中です。
特に、今もすぐ浮かぶのが
のどかな風景の中、ママチャリをこいでいく姿。
そしてベッドに父と子、二人並んで座る背中。

私は一応ネタバレ避けていたとはいえ、雑誌は目を通していたので、孝夫さんが自転車をこぐシーンがあるということは知っていました。しかも監督が自動車から自転車に変えたというエピソード付きの場面。
ところが、私ときたら、かってに横から撮られた画を想像していたんですね。
実際は…想像なんかよりずっとずっと心に残る「画」でした。
観た時は「ああ、例のシーンだ」くらいの感覚でした。
でも、無意識に焼きついていました。気がつくと忘れられなくなっていました。ただ自転車をこぐ背中の画。

もう一つの画は、いっきにストリーが展開、その結果の父子の背中。
パンフレットで吾郎さんが「映画の中のひとつの物語を終わらせなくてはならない大好きなシーンでもあり、難しいシーンでもありました」と話しています。
吾郎さんが個人的に気に入ったセリフがあったそうですが、映画ではカットされていたそう。このシーンはこのシーンで私には完成形ですが、それとは別にどんなセリフだったのか、とても興味があります。


「感覚的」

つまり、画がそれだけしっかりしていて感覚的に楽しめる、堪能し得る映画。
孝夫さんのところだけでなく、刻まれるように、捻じ込まれるように、心に残る画がたくさんあります。
(一つ一つ拾っていくのが追いつかないほど…なので、最初からあきらめて、孝夫さんのシーンに絞りました)
美月ちゃんのコメントに「映像の隅々にまで愛情が注がれている作品」とありますが、その通りだと思います。

それに比較して、それをつなぐ線、ストーリーの表現は極力抑えてあるというのが私の感想ですが、決して、ストーリーを蔑ろにしているわけではありません。
むしろ画でしっかり描き魅せることで、観ている人に押しつけるのではなく、観ている人自身がストーリーを探りあて「感じる」ことができるようになっていると思います。
だから観る人によっては…
あるいは観る人が同じでもタイミングによっては、ストーリーの解釈がかなり違ってくるかもしれないと思いました。

実は、私、映画を観た時は星羅と小倉の関係はわかりませんでした(爆)
でも、それを知らなくても、私の中のストーリーは形を成しましたし、紫織の歪みを感じることができました。
最後の紫織と星羅の2ショットは胸に突き刺さりましたし…紫織の遺書を受け取り、死を知ったクラスの少女たちはどう感じるんだろう。噂し嗤う陰で個々の新たな闇にもがくのだろうかと膨らみました。
その一方で、関係を知った後だと、紫織が転校してきた理由はそれ?って考えることもできますし、罪を重ねる紫織の言葉や姿に、父親との関係だけでなく、星羅や小倉に対する気持ちも感じることができます。
さらに2ショットを観た時の感じ方もまた変わってくるでしょうし、2回目観ることができたら、また違う解釈で堪能できそうです。


最後に、「遺書の言葉」について。
壇上の少女たちの場面は最高に印象的であり象徴的であり、言葉は心に突きつけられ迫られます。
見応えある場面です。
でも、その言葉は私にとって、空ろでもありました。
完全な平等はあり得ません。
もし、言葉のような世界の中で努力と才能が足りない個体に生まれついたならば、それこそ決定的な不平等です。
また完全な平等が成り立ったとすれば、そこには個性がなく、故に喜びも幸せもありません。
だからこそ、昴君の言葉が響きます。

「運命」
そう、それは不平等ではなく、運命。

そして、二人の少女が笑顔を取り戻した言葉。
「世界は広い」
その不平等は閉じられた世界での価値観に過ぎない。
夜が明ければ綱渡りの綱に思えたロープが、ただ頑丈な橋の上に置かれたロープであるように。


繰り返し観たい映画です。

(ちなみに、自分の17歳は…って考え、思い出し笑ってしまいました。修学旅行のある事件を経て、大真面目に「人間不信」をしていました。その時は笑い事じゃなく、本当しんどかったですけれど)


追記:

アップした後、吾郎さんの挨拶の言葉を思い出しました。

「生きていく中で誰もが抱える闇や心の傷に寄り添う好きな作品となりました」

吾郎さんて、言葉の選択が本当に素晴らしいと思います。
これほどまでに端的に、この映画の本質を表す言葉はないと思います。





またまた、記事を更新できずに一週間以上。
スマスマを迎えてしまいました。

もう、S-LIVEたまりませんね
。。。。。最高でした(ノ_<。)・°。
妄想デートのビストロも楽しかったです。
今度こそ感想書きたいです。

今年もあと2カ月ちょっとで終わってしまいますね。
体調不良なんて言ってられません。養生しつつ、しっかり頑張りたいです。
ご覧くださってありがとうございました 拍手もありがとうございます。

SMAP大好き
ずっとずっと好き
どうかどうか、これからも5人一緒に活動できますように。。。。。
     
 
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りんごろ

Author:りんごろ
 夢モリ時代から、一視聴者として、笑いと感動を、ずっと頂いてまいりました。無意識に。ごく普通に。
。。。そして'12年夏。ひょんなことから、スマ愛を自覚し、ファンの道を第一歩。踏み出してわかる、単なる「好き」とファンとの開き。さらに自分自身に起こる変化にも、ちょっと戸惑いぎみ(照)
 スマさんたち同様、スマファンさんにも感動&感謝することしばしば…SMAPファンになると同時に、スマファンさんのファンにもなったように思います。
 ちょっと(かなり?)ずれたところがあるかと思いますが、どうぞ、よろしくお願いいたします。